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2020.05.23 (Sat)
かばん屋として創業してから、先代の技術を受け継ぎ、現在ではランドセル専門店として営業させていただいております。
そして、名古屋の老舗ランドセルブランドのひとつとして萬勇鞄の名を挙げていただけるようになりました。
創業以来、安心と信頼のランドセルを提供できるよう、素材選びから組立までを一貫して自社内の高い技術を持った職人が行っています。
今回は先代から続く、萬勇鞄の歴史をご紹介いたします。
ランドセル選びで、たくさんのメーカーやブランドを比較されている方もいらっしゃるかと思います。
お子さまが毎日使うランドセルを、しっかり選びたい!という方に、少しでもご参考になれば幸いです。
萬勇鞄の前身である「服部鞄製作所」が創立されたのが昭和25年のことです。
まだ戦後の混乱が残る時代でした。
当時はまだランドセルの専門店ではなく、ビジネス用の物などかばん屋として様々なかばんを作っていたようです。
なんと、かばんは全て手作り。
ハイテクな機械はまだない時代でしたので、一つ一つ、手作業で作っていました。
かばんの材料となる革は、定規を当てて包丁で裁断。
小物を作るための革は、木槌で叩いてのして、型を作っていたようです。
こういった工程全てを、一つの工場内で行っていました。
そして当時は、今のように直営販売ではなく、出来上がったかばんを問屋に卸していました。
萬勇鞄のこだわりである手縫い、手作りの原点はここにあることがわかります。
そして、職人の技術は現在にしっかりと継承されています。
昭和34年4月、自宅の建て直しに伴い、道路に面した一室をかばん屋の店舗にしました。
それまでは出来上がったかばんは問屋に卸していましたが、この年からは直接お客様に販売を始めていきました。
また、それまではランドセルだけではなくビジネスかばんなど、様々なかばんを売っていましたが、この年から初めて学生鞄を作り始めました。
学生鞄を作っていると、学生鞄とランドセル作りの依頼が季節ごとに繰り返し入ってきたそうです。
この時から、現在の萬勇鞄に繋がるランドセルが作られ始めます。
この頃は時代の流れにより、子どもの数がどんどん増えていった時期でもあります。
子どもの数が増えていくにつれて、ランドセルの需要も増え続けていきました。
それに伴い、それまではかばん屋をだったお店がどんどん専門化していきました。
萬勇鞄の前身である服部鞄製作所も、昭和42年ごろにはランドセル作りがかばん作りの約9割を占めるようになっていたようです。
服部鞄製作所がどうしてランドセルの専門店にシフトしていったのかは定かではないのですが、服部鞄製作所を含め、どのかばん屋さんも、自分の得意なかばん、特に愛着のあるかばんを主に作る専門店として、細分化していったようです。
そして昭和47年ごろ、服部鞄製作所は現在の愛知県一宮市に工場を建て、昭和48年に萬勇鞄を設立いたしました。
名古屋のランドセルは昔から手縫いが主流で、他の地方のランドセルと比べても高級品といわれていました。
現在萬勇鞄は愛知県あま市にありますが、こちらには7年ほど前に移転いたしました。
名古屋地域を中心にランドセル作りを進めています。
服部鞄製作所の頃からの技術を受け継ぎながら、現在も手作りのランドセルを自社の工房内で作っております。
他のランドセルメーカーやブランドが機械化を進めていく傾向で、手縫いのランドセルが少なくなる中、萬勇鞄は今に至るまで丈夫な手縫いのランドセルにこだわっています。
職人の熟練の技術があるからこそできる工夫をたくさん詰め込み、ひとつひとつ丁寧に仕上げています。
萬勇鞄の名前には「全ての人に勇気を与えるランドセル」という意味があるのですが、実は先代の服部勇の名前からも漢字をとったそうです。
6年間、毎日使うものだから。
こんなに長い期間ひとつのものを大切に使うのは、ランドセルが初めてという子もいるかもしれません。
6年間、毎日ずっと使うものだからこそ、良い品質のものを使ってほしいと私たちは思っています。
うれしいときも、悲しいときも、ずっと一緒にいられる丈夫なランドセルを作りたい。
そんな思いが形になって、萬勇鞄のランドセルには多くのこだわり、工夫が散りばめられています。
萬勇鞄の歴史をお伝えしてきましたが、「そもそもランドセルっていつから使われているんだろう?」と気になった方も多いはず。
そこで、次にランドセルの歴史についてご紹介します。
ランドセルの歴史の始まりは、なんと江戸時代にまで遡ります。
「背のう」という布製のかばんが江戸幕府の末期に輸入され、軍隊で活用されるようになったのが始まりだと言われています。
イギリスや韓国では日本と同じように背負い式のもの、ロシアやインドでは手提げ式のものなど、国によって様々な通学かばんがあります。
ですが、箱型で背負い式の、いわゆる「ランドセル」は日本独自のものなんです!
ランドセルの発祥とされているのは、明治時代に開校した学習院。
通学時は、馬車で通う子や、使用人に荷物を預ける子など、様々な子供がいました。
ちなみに、服装については当初から制服があり、統一されていたんですよ。
しかし、開校から8年経った後、「学用品は自分の手で持ってくるべき」となり、軍隊用の背のうが採用されたのです。
背のうが採用された理由は、背中に添えて両手をあけることができ、荷物を持ち運ぶことが便利だったためです。
輸入元だったオランダでは、「ランセル」(背負いカバン)と呼ばれており、それがなまって「ランドセル」になったと言われています。
その後、伊藤博文が大正天皇に箱型の通学鞄を献上しました。
これが、現在のランドセルの形の始まりです。
諸外国でも様々な通学鞄がありますが、こんなに頑丈でしっかりしているのは日本のランドセル独特なんです。
パパ、ママが小学生の時には「男の子は黒・女の子が赤」が一般的だったかと思います。
今では、カラーバリエーションが増え、お子さんの好みの色を選べたり、デザインで個性を出したり、オーダーメイドでひとつだけのランドセルが注文できたりします!
そして機能性なども時代とともにどんどん移り変わっていっています。
コードバン・牛革・人工皮革など、革の素材も様々な種類が販売されていますし、少しでも負担がなく、軽いランドセルになるように各社が凌ぎを削って努力しています。
どのメーカー、ブランドもそれぞれに良い特徴があって、だからこそ価格帯も幅広くなってきていますよね。
1万円以下のものから、10万円近くするものまで、お値段も様々。
また、最近では、海外でも人気があったり、ファッションとして大人用のランドセルも人気が出ていますよね!
これから先、日本のランドセルはどんな変遷を遂げるのか、私たちもとても楽しみです。
いかがでしたか?
今回は、私たち萬勇鞄の歴史を紹介させていただきました。
創業から70年、職人による手作りにこだわり続けてきました。
今は、伝統的な鞄工房でありながら、トレンドを抑えた商品ラインナップを展開しています。
手縫いで仕上げているため、大量生産はできませんが、昔ながらの良さを大切にしています。
メーカーによっては、キャラクターとコラボしているランドセルがあったり、かわいいランドセルがたくさん販売されていますよね。
私たちは、「6年間ずっと使い続けられる」ことを大切にし、飽きのこない、高学年になっても使いやすいデザインモデルにしています。
かぶせやサイドのマチ部分に入る刺繍などのモチーフは、デザインの構想から試行錯誤を重ねて作られます。
男の子には、スポーティーでかっこいいデザインを。
女の子には、さりげないステッチやチェックの柄で、かわいらしくもあり、上品なデザインを。
豊富な色のバリエーションも、デザインも、シンプルでありながら高級感があるように考えられています。
「6年間ずっと使い続ける」ために、他にも様々な工夫を凝らしているんですよ。
例えば、背負いやすさ。
負担を感じずに毎日元気に歩けるように、背中に自然とフィットする構造に。
そのために、背あてのクッション、背カン、肩ベルトにこだわっていて、軽く感じる仕様になっています。
A4フラットファイルに対応している大容量収納サイズだったり、外側だけでなく前段ポケットにもはっ水加工を施していてお手入れ簡単だったり。
機能面もバッチリで、本当に便利!と評判です。
さらに、萬勇鞄オリジナルのネーム刻印プレートのことはもうご存知ですか?
お子さまの名前が刻印される、ネームプレートがランドセルに入ります!
このネームプレートやリコーダーケースなど、一見有料オプションに見えるものも、萬勇鞄では標準仕様になっているんです。
また、よくご質問をいただくのですが、6年間の修理保証サービスももちろんついてございます。
もし修理が必要になってしまった時も、これで安心ですね。
気になることがございましたら、いつでも遠慮せずにご相談ください。
このように、萬勇鞄ならではの高品質の秘密、こだわりがたくさん詰まったランドセルなんです!
ぜひ一度、ご購入前に実際に背負ってみてご検討くださいね。
先代の想いを受け継ぎ今につながっている萬勇鞄、これからも名古屋地域のみならず、全国のお客様に手作りの想いがこもったランドセルをお届けしたいと考えています。
今後とも変わらぬご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
コラムの内容についてご質問等ございましたら、お気軽にお送りください。